1972年に出版された「三浦市民の意識」という本の中の、当時の三浦市の物価についての話をご紹介します。
当時、一部の三浦市民に対して世論調査を行い「三浦市の物価は高いと思いますか?」という質問をしたところ、72%の方が「高い」と答え、20%が「ある程度高い」と答えたそうです。
物価が高かった理由の説明がいくつか書かれていました。そのうちの漁業にまつわるものを、2つご紹介します。
当時、三崎漁港の近くには仕込屋さんがたくさんありました。
仕込屋さんというのは、漁船の船員さんに長期の船での生活に必要な物資を売る店で、船員さんに商品を掛けで売り、半年から1年後、船が帰ってきたときに代金を受取っていたそうです。
彼らは代金を回収できないリスクを抱えていました。
代金を受取ろうとしてもお客さんが見つからない、あるいは不幸にしてお客さんの船が沈んでしまうなど。
したがって、商品を高く売らざるを得なかったそうです。
また、漁業が栄えていた当時、長い航海を終えた船員さんたちは、お金に糸目をつけず、半年から1年間船の上で働いて稼いだ給料を、1週間から1か月の間に使い果たして、次の航海に向かっていきました。そのおかげで当時は高いものがよく売れたのだそうです。
このような景気のいい状況により、他のさまざまな商品もつられて高くなったそうです。
できれば当時の三浦市の物価を客観的なデータで確認したかったのですが、見つかりませんでした。
この「三浦市民の意識」という本は、三浦市民に対して行った世論調査の結果とその分析が書かれたもので、三浦市図書館で借りられます。
調査の項目は、生活の満足度・地域参加・政治参加・産業・三浦市の将来など。
出版と調査を行ったのは、三浦青年会議所世論調査特別委員会。
三崎高校と三崎水産高校の40人の生徒さんが、調査対象の1,000人の市民に直接会いに行って質問し、734人の回答を集めたそうです。
投稿日:2023年1月24日
投稿者:にがうり