チャッキラコ


115日、三崎下町の「小正月」恒例の行事、民俗芸能「チャッキラコ」が、4年ぶりに海南神社で披露されました。

コロナ禍の間は本殿の前で「神事」のみが行われ、一般公開はされていませんでしたが、5類移行に伴い晴れて約500人(主催者発表)の観衆の前で「フルバージョン」を公開しました。

見事な舞いを披露したのは3歳から12歳までの21人。扇やチャッキラコと呼ばれる五色の紙で飾られた綾竹を手に「音頭取り」と呼ばれる女性の唄に合わせて6演目を可憐に舞いました。

 

チャッキラコの起源には海南神社の祭神・藤原資盈公の奥方が三崎の子どもたちに教えたという説と、源頼朝が三崎来訪の時に老婆に舞いを所望し、その歌に合わせて女の子が踊ったのが始まりと二つの説があります。

米田郷海宮司によれば、海南神社での奉納は約300年の歴史があるそうです。

 

昔は花暮、仲﨑地区(現在の三崎三丁目)に住む女の子だけしか参加できませんでしたが、少子化の現代では、メンバーは市内在住の小学6年生までの女の子で構成されています。

彼女たちは午前7時半に集合。資盈公の屋敷跡といわれる「本宮様」の前で舞いを奉納した後に海南神社へ移動。終了後は「角付(かどづけ)」といって下町の企業や商店などで踊り、全てが終わるのは午後4時すぎ。踊り手はもちろん、付き添いのお母さんたちもへとへとです。

でも今年初めて参加した5歳の子は「楽しかった。また来年もやりたい」と目を輝かせていました。

 

チャッキラコは202211月に「風流踊(ふりゅうおどり)として全国の41件とともにユネスコの無形文化遺産に登録されました。「風流踊」とは「外に出て、みんなの目を驚かす飾り物の屋台や行列、あるいはお祭りの時の仮装行列や、珍しい歌、踊り」のことです。

投稿日:2024年1月27日

市民記者:お祭りおじさん